2008年8月3日日曜日

現代小説『雷とアジサイ』

 梅雨の終わりには雷が鳴るという。ならば、雷が鳴れば梅雨が終わるかといえば、決してそうとは言い切れない。今日のように、まだ6月の半ばで雷が鳴っているようなときは、まだまだ梅雨が続くと考えたほうが妥当だろう。
 また、アジサイの花が青白く映っているのが視界に入る。もっとも、普段アジサイの花として見ているものは、本当は花びらではなく萼(がく)らしいのだが……。
 などと現実逃避しているが、実は現在、そんな場合ではない。
 ハッキリいって、ピンチである。いや、能力的に何とかできないわけではないが、そうもいかないのだ。ゆえにピンチ、である。
 そもそも今鳴っている雷も、自然現象のそれではない。目の前の相手が、厳密には目の前の相手を含む者たちが、発生させているものだ。今回の作戦上、必要なものらしい。
 その雷は、何の関係もない人間が見ても大丈夫なように、自然現象に見えるようにしている。しかし、分かる者には分かるようにしている。これで、見た者の様子を見るという効果も期待しているのかもしれない。
 ただし俺の場合、こうして人が来ている時点で、もうすでにかなり疑われているのかもしれないが……。
 しかし、今ここでこちらの正体がバレるわけにはいかない。あいつのためにも、何とか一般人としてやり過ごす必要がある。あいつは、俺と違って能力的には一般人と変わらないからだ。
「一体、何のようでしょうか? 雷も鳴って参りましたし、雨が降り出す前に屋内に戻りませんか?」
 とりあえず俺は、そう切り出してみた。
「もうしばらくは大丈夫でしょう。雨もそう降らないと思います」
 それはそうだろう。なにせ、この雷を発生させているのは、お前たちなのだから。
 もちろん、そんなことは、おくびにも出さないが……。
「それより、あなたのような素敵な女性に逢えたのです。このまま戻ったのでは、もったいないと思いませんか?」
「……それはありがとうございます」
 何だ? 一体何を言い出しているんだ?
「私がしなければいけないことは大方終わりましたし、手持ち無沙汰になっていたところだったんです。そんな中、あなたのような女性を見かけまして、思わず声を掛けずにはいられませんでした」
 もしかして、これはナンパか? まさか、こんなところでもナンパに会うとは……。あいつと一緒に来たことは、こいつも知っているだろうに、どうして俺なんかに声を掛けるんだろうか。
 それに、俺の容姿なんて十人並みだろうが。わざわざ誘うほどのこともあるまい。
 いや、しかし。もしそうだとしたら、こいつは今回のこととは関係なくこの姿の俺に接触してきたことになる。ならば、俺の正体はバレてないことになる。
 よし。リスクはあるがその前提で、話を進めよう。それに、可能な限り情報を得ていた方がいい。なにしろ、こちらに人間は二人しかいないのだから。
「私もあなたのような方に声を掛けて頂けて光栄です」
 とはいっても優男だけどな。見た目はまぁ平均以上だからか、自信過剰気味なのは辟易する。が、それは我慢しておこう。
「ところで、どうしてお一人でこのような場所に?」
「ええ。少し風に当たっておりました。しかし、雷も鳴ってまいりましたし、そろそろ戻ろうかというときに、あなたが……」
 それにしても、普段話さないから女言葉って難しいな。不自然じゃなければいいのだが……。もっとも、ある程度は勝手に女言葉になってしまうので、大丈夫だろうが。
 などといった感じで会話を少し続けてみたが、特に重要そうな話は聞けそうな感じはしない。こいつは、組織の中でも単なる末端なのかもしれない。
 それでもこういう組織に入っていることで、エリート意識を持っているようだ。言動にそういうところが感じられる。いわく「私は選ばれた人間なのです」とか「私の遺伝子を残すべきです」等々のことを言うのだ。
 いや、実際にこういう内容を言っているのではないが、そういうニュアンスが伝わってきて非常に困る。自慢したいのは分かるが、俺はそういうの嫌いだぞ? 見た目への自信と併せて、なかなか印象を悪くするいい例だ。俺も今後、注意しておこう。
「あの、そろそろ戻りませんか?」
 もう、こいつと話していても仕方がないだろう。こいつとの話に辟易した俺はそう判断し、切り上げようとした。そのときである。
「ここでの私の役目は、ここで無関係な人を足止めすることです。後は楽しませてもらいましょうか」
 そういうなり、こいつは俺を視た。
 瞬間、俺の身体を縛るような力の流れを感じる。
 やりやがった! こいつ、いきなり能力を使いやがるとは……。
「どうしたのですか、急に?」
 こいつ、分かっていて聞いてやがる。この程度なら、無効化することは簡単にできる。が、こんなところで、こちらの素性を晒すわけにもいかない。そのまま素直に、動きを封じられておくしかない。
 だが同時に、周囲を探らせる。もちろん、これはできるだけさり気なく、である。
 どうやら、周りにはこいつと俺しかいないようだ。
 などと、一瞬、意識をこいつから外したときである。
「あなたは喜ぶべきです。私のような優秀な人間と交われるのですから」
 いきなり押し倒された俺は、予想外のことにパニックに陥ってしまった。こんなことなら、さっさと逃げとけば良かった。
 などと思っても、今となっては後の祭り。どうしようもない。
 しかし実際は、こんなことを考える余裕すらないのが実情だ。俺は恐慌のあまり、身動きすらできない有様である。
 目の前のこいつはそんな俺の様子を見て、満足げに邪悪な笑みを浮かべると、着ているドレスを破るように脱がした。胸を覆う白い下着が、こいつの目に晒される。
 くそ! せっかくあいつが用意したドレスなのに!
 下着を見られたことよりも先に、そんなことが頭をよぎった。こんな状態に陥っても、そう考えてしまう自分に驚いてしまう。
 俺を押し倒したこいつは、俺の顔に自分のを近付けてきた。
 ま、まさか!?
 とっさに腕を伸ばして、こいつの肩を持って遠ざけようと試みる。が、それ以上の力を持って顔が近づいてくる。
 や、やめろ……!
 唇が、俺のそれに触れるのを感じる。
 く……。涙が出てくる。
 今、女性の身体だとしても、俺は男である。それなのに、こんな奴に無理矢理キスされるなんて……。男の心が生理的嫌悪感と悔しさを訴えてくる。
 こいつは俺のそんな思いとは無関係に、そのまま俺の体を舐めてくる。初めは涙を舐めるように目元、続いて耳、そして首筋へと……。ゆっくりと時間をかけて、ねぶるように俺を舐め上げていく。
 ナメクジに這われるようなその感触に、総毛立ってしまう。
 嫌だ。こんなのは嫌だ!
 本能がそう訴えてくる。嫌悪感から、目の前のこいつを何とかしようとする意識が発生してきている。それに、その意識を受けて、周囲が動き出そうとしていることも……。
 ま、まずい……!?
 ここでこいつを倒したら、あいつが窮地に陥ってしまう。能力的には一般人であるあいつが安全かつ効果的に行動するためにも、一緒にいる俺も一般人として振舞う必要がある。
 それに俺自身は、正体がバレないように性別すら変えている。引き替えあいつは、素顔のままだ。というより、あいつの顔を利用してこの場所にいる。そういう意味でも、ここで俺の能力を使うわけにはいかない。
 幸いにも、こいつは俺の能力が発動しかかっていることに、まだ気が付いていない。
 俺は、理性を総動員して能力の発動を押さえ付けた。
 が、もちろん、それで状況が良くなるわけではない。むしろ、悪化しているといえる。
 何もできない俺の様子に嗜虐心でも刺激されたのか、今度は胸を覆う下着に手をかける。
 それに対して、こいつは一言も発しない。無言、無表情で俺を陵辱しようとしている。ただ、呼吸音だけが響いている。
 視界に入るアジサイの青白さが、俺の心を反映しているように感じる。また、雷鳴もどこか遠くに聞こえた。
 こうして、何もできないまま下着が剥ぎ取られ、胸が露出する。
 ……っ! あいつにも見られたことがないのにっ……!!
 後になって振り返ってみると、この期に及んでまだそんな発想をしたことに驚く。
 もっとも、このときにそんな余裕なんてものはない。俺はまさに、まな板の上のコイといった状態だった。
「小振りですが、形のいい胸ですね。気に入りました」
 お前になんかに気に入られても、嬉しくも何ともない。そういう思いすら、口にできない自分が歯がゆくなる。
 そのこいつの手が俺の胸に触れる。
 胸を揉まれるのが、こんなにも不快だったなんて……。
 嫌悪感から鳥肌が立つ。その生理反応からか、次第に乳首も起ってきた。
「乳首が起ってきましたよ。どうです? 気持ちいいでしょう?」
 どこか誇らしげに、こいつはのたまう。
 そんなわけが、あるはずもない。俺は、自分の涙が止め処なく流れ出るのを自覚していた。こいつも、俺の涙を見ながらそんなことをいいやがる。
 茫然自失状態の俺は、こいつにされるがままだった。
 涙でぼやけた視界の中で、なぜか、あいつの顔が浮ぶ。
「……がっ!?」
 ……?
 俺の胸を揉むこいつが急に呻いたかと思うと、動きが止まった。
 見ると、こいつの後ろに誰か立っている。
 ……!?
 あ、あいつだ! どうしてここに!? 今はまだ、作業中じゃないのか!?
 誰だかわかった俺は、急に恥ずかしくなって胸を隠した。
「大丈夫か? 俺がいながらこんなことになってしまって、本当にすまない」
 どうして、お前が謝る? お前がここに来た以上、仕事は失敗だろうが……!?
 そう思うも、一切声が出ない。いつも通りに振舞おうとするも、なぜかできない。涙が出てくるのみだった。


 その後、あいつは連れが暴漢に襲われたものとして処理した。一般の参加者として、である。
 俺たちとしてもことを大っぴらにするのは困ることだし、主催者側としても公になると困るということで、内密に処理された。また、そのときの対応も、俺の心理状態を慮ってか、女性スタッフのみで行ってくれた。このことは、俺としても感謝している。
 ちなみに、仕事は当然ダメになった。
 しかし、あいつは警備上の不備を訴え、主催者側としては口止め料を含むのだろうが、かなりの金額を受け取ったようだった。さらに、襲った奴の一族からは、ありえない額の慰謝料をぶんだくったらしい。充分以上にペイできる。
 問題があるとすれば、しばらくの間、男に戻ったとしても男性恐怖症のような感じになったことだろうか。それも何とか克服して、次の仕事ができるようにしないとな。

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