2011年2月9日水曜日

小説『転生物?』

 そこには何もない空間が広がっていた。
 あたりを見回したとしても何もなく、どこまで行っても何も見えない。あたり一面が白色に支配された場所である。
 そんな場所に二人の人物が対峙している。地面すらない場所で、その二人は黙ったまま、向かい合って浮かんでいた。
 一人は肩までの長さで整えられた黒髪をもつ二十歳代半ばの女性である。これといって目を惹くような容姿ではない。顔も十人並みといって差し支えないものであろう。ただ、こんな場所にいても驚いた様子がないことだけが、特異だといえば特異といえる。
 一方のもう一人は、こちらは十人いれば十人が見惚れるような美貌を持つ男性だ。年齢は対峙している女性と同様に二十歳代半ばだろうか。しかし見た目が平凡な女性との対比もあり、輝くようにすら感じられる。あるいは神々しいという形容詞を使ってもいいかもしれない。そう思わせるだけの雰囲気を出す男性である。
 そんな二人はどのくらいの時間、相対していたのだろうか。二人の間に横たわる沈黙を破ったのは、美貌の男性の方だった。
「ようこそ。私は――。人の身では理解できない名前かもしれないがね」
 そう挨拶すると手を胸に当て、軽く一礼する。男性の言葉通り、その名前だと思われる部分だけ聞き取ることはできなかった。
「ご丁寧にどうも。私は……」
 名乗られた女性は、名前が聞き取れないことなど気にした風もなく、ごく普通に挨拶を返す。
「知っている。君を選んだのは私だからね」
 が、男性は女性の挨拶を遮って話を続けた。
 手を大きく広げ、身振りを交えるその様は、芝居がかって見える。もっともそれは、その美貌も相まってごく自然に絵になっているのも事実である。
「我が呼びかけに応じてくれたことに感謝する。君を歓迎しよう」
 そういって、男性が一礼した。古式然としたその振る舞いは、見る者を惹きつけるものがあった。
「どういうことですか? 私は気が付いたらここにいました。呼びかけに答えた覚えはありませんが?」
 だが男性の言葉に対し、女性は戸惑っているような表情を浮かべて聞き返した。
「意識していようがいまいが、ここにいる以上我の呼びかけに答えたことは間違いない。とはいえ、そんなことは問題ではない。ここに君を呼んだ理由だが、これからしてもらいたいことがあるからだ」
「……してほしいこと、ですか?」
「そう。それほど難しいことではないから安心してほしい」
 そういって、男性は女性に微笑みかける。その微笑みは、普通の女性ならほぼ間違いなくほほを染めてしまうだろう。
 しかし、女性は特に影響を受けた様子もなく話を聞いている。
「してほしいことを話す前に、私について少し話しておこうか。私は、そうだな……。君たちの概念で言うと神と呼ばれる存在が近いだろう」
「……神、ですか……?」
 神という言葉に女性は怪訝な顔を返すが、男性は特に気にしていないようだ。そのまま話を続ける。
「私は世界を管理している。故に神だと答えた。そして私は長き時を生きている。世界に干渉する場合もあるが、それは稀だ。ほとんどすることはない」
「……つまり、暇なのですか?」
 ―神―の言葉に女性は軽い風情で、そう言葉を口にした。仮にも神を名乗る存在に対して、その言葉は軽率にも思える。
「ふむ。まぁその通りだ。そこで、暇つぶしにつきあってほしいのだ」
 しかし、―神―は特に気分を害した風もない。
「暇つぶし……ですか。では、私は何をすればいいのでしょう?」
 一方の女性も、暇つぶしといわれたにもかかわらず、具体的な内容を求め、―神―もそのまま話を続ける。
「して貰いたいことは、君にこれまでとは異なる人生を歩むということだ」
「……? どういうことですか?」
「転生という言葉を聞いたことがあるか?」
「転生ですか? えぇ、言葉とその辞書的な意味なら知っています」
 もともと仏教の概念で死後に自分ではなく別の存在として生まれ変わることですよね、と付け加えつつ続きを促す。
「その通りだ。厳密には転生と異なるが、君に力と知識を与えるのでその状態で好きな世界に生まれるようにしよう。そこで思うがまま行動してほしいのだ」
 そんな荒唐無稽な話をされて、女性の目がスゥーっと細められる。どことなく危険な雰囲気を漂わせているが、―神―は気が付いていないようだ。あるいは気にしていないだけかもしれない。
「転生する世界はどんなものでもいい。マンガや小説・ドラマの世界でもいいし、なんなら君が空想する世界でも可能だ。そこで、君がどんなことをしてくれるのか。それを見せてほしいのだ」
 ―神―はそういって再度大きく手を広げ、芝居がかった仕草を見せる。その動きは大きさを増し、先ほど目を細めて以来表情を消している女性とは、見事なまでに対比を醸し出している。
「質問がありますが、構いませんか?」
「当然それは構わない。何でも聞いてくれたまえ」
 表情を消したまま尋ねる女性に対し、―神―の態度は変わらない。
「転生とおっしゃいましたが、私は死んだの、いえあなたに殺されたのでしょうか?」
 女性の言葉遣いこそ丁寧だが、そのあまりにもストレートな質問に対し、
「それは心配しなくていい。本当に死んだわけではない。転生先の人生が終われば、元の人生に戻れる。私も自分の楽しみのためだけで一つの生命を奪うのは目覚めが悪いからな」
 ―神―は何事もなく答えた。目覚めが悪いなんてことをいっているが、あるいは人の生き死になどどうでもいいと感じているのかもしれない。
 女性もそれを感じたのかもしれない。その表情にはさらに影が差している。
「そうですか。それは安心しました」
 しかし、女性はこれまでとは一転して、笑顔で答えた。もっともその笑顔は、どこか寒気を感じさせるものがある。
 ―神―はそんな女性にかかわらず、話を、いや一方的な説明を続けている。女性もそれを遮るでもなく終始、寒気を感じさせるものであるかもしれないが、笑顔のまま聞いている。
 そして―神―の話が一段落したときに、ようやく声を返した。
「なるほど、分かりました」
 その時見せた表情は、これまででも一番の笑顔である。
「ところで、知っていますか? 神が人間に干渉することは禁じられているということは」
「ん? どういうことかね? それは私がこういうことをするのはよくないということかね?」
 女性の声は決して大きな物ではなかったが、妙に耳に残ったようだ。―神―も思わずという風情で聞き返す。
「いえいえ、そうではありません。いちいち―人間―のすることに干渉しないというだけですから」
 女性は、そういって軽く首をかしげた。もちろん、その表情は笑顔のままだ。
 ―神―もようやく、女性の雰囲気に気がついたのだろう。女性の表情を見て、少し腰が引けたように動きを止めた。
「ですので、本来であれば―人間―のすることに対して、手出しをすることはありません」
 女性はそういって、一旦言葉を切った。その姿からは、目に見えないオーラのようなものが立ち込めているように感じる。
「な、何を言っている……?」
 一方の―神―は、そのオーラに押されたのか動揺しているようだ。
「えぇ。本来であれば何もしないのです。ただ……」
「ただ……?」
 ゴクリ……と―神―が唾を飲み込む。そのさまからは、先ほどまで芝居がかった仕草で説明していた姿は想像もできない。
「ただ、直接何かされた時はその限りではありません」
 女性は―神―に向かって腕を伸ばした。
「たかが人間を少し超えただけで私に手出しをしたその報い、しっかりと受けてもらいますよ」
 そう。―神―を名乗った男性は神ではなかったのだ。女性の方が、その称号に相応しかったのだ。
「……あ、ああ……」
 最初は十人並みの印象しかなかった女性から、すさまじいまでの力の奔流が感じられる。それを受けてしまった男性も、目に見えてうろたえている。
「あぁ、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。別に私を殺したわけではないようですし、命を取ろうなんて思いませんから」
 もちろん、そういわれたからといって、安心できる物ではないだろう。実際―神―を名乗った男性はその顔から色を失っている。当初神々しいまでの雰囲気を放っていたとは思えない。
 一歩ずつ、何もない空間に浮いているにもかかわらずそう表現することしかできない、男性に近付いていく女性は、ふと気がついたように動きを止め、
「あ、そうそう。ここから先はお見せすることはできませんので」
 そういって、女性は―こちら―を向いて、何事かつぶやいた。それで、そのまま何も見えなくなってしまう。
 その後、そこであったことは一切不明である。

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