2009年6月21日日曜日

現代小説『風神父子』

 現在の高度は、おおよそ2000メートルといったところだろうか。もっとも、詳しいことは計器があるわけではないので分からない。
 とはいえ、現在俺が雲の上を飛んでいることに変わりはない。そして雲の下では雨が降っている。雨はそれほど強くないが、俺はその雨を避けて雲の上を飛んでいる最中である。
 さて、五月雨は「五月の雨」と書くが、5月の晴れ間に降る雨のことではない。五月雨の「五月」とは旧暦での5月であり、梅雨のことを指す。つまり、ちょうど今降っているような雨のことを指しているのだ。
 などと由無し事を考えつつ、俺は西へ向かって飛んでいた。今のペースなら、あと1時間もすれば目的地に着くだろう。もっと早く到着することも可能だが、特に急ぐこともない。今飛んでいる力の源である、風の精霊の能力に見合った飛行速度で問題ないだろう。この風の精霊に、慣れさせるという意味もあるのだから。
 しかし、こういう何もないときに限って、問題が起こったりするものである。無事に目的地まで着きたいものだ。
 っと、いかんいかん。そういうことを考えていると、実際に何か起こってしまうものだ。それに全行程の3分の2も過ぎたんだ。今さら何も起きないだろう。起きないに決まっている。
 そう自分に言い聞かせる。
 ちなみに今、あいつはいない。さすがに3時間も飛び続けるような行程に、あいつを連れてくるわけにはいかないからだ。もし同じ場所に移動するにしても、あいつには電車などを使って貰うことになるだろう。
 そうこうしている内に、そろそろ目的地上空に差し掛かる頃だ。
 そう思い、前方に意識を向けたときである。
 ……ん、なんだ? 前方に何か強い気配がある……?
 それにこの気配は、魔に属するものじゃない? しかもこの強力さは精霊とか比じゃない。もしかしなくても、神に属する存在か!?
 その気配を察し、俺は空中で止まった。俺の前には、目には見えないが、濃密な力と気配が存在している。
 勘弁してくれよ、まったく。結局、何か起こってしまったじゃないか。
――貴様か。人の身で神の子を使役するという不埒な輩は。
 やはり、神の眷属か。しかし、どうしてこんな所に出てくるんだ。それに、神の子って何のことだ?
 さらにいえば、声が直接頭に響いてくる。俺はこういう声を聞くとかいう感度は悪いのに、言葉尻まではっきり分かる。これは、半端な力じゃないぞ。
――人たる身でかような所業、看過するわけにはいかん。
 そう宣言すると、その存在は力を解放した。
 とたんに荒れ狂う風が舞い起こる。
 く……、風神か!?
 俺は急いで飛行システムを風の精霊の力を借りたものから、自分本来のものに切り替える。風神を前にして風の精霊の力を使い、相手にこちらの風を乗っ取られるという愚を冒さないためだ。
 あるいはいったん下に降りて、飛行を解除した方がいいかもしれない。公園や川辺といった、今の時間なら人がいない場所なら……。いや、ダメだ。人がいなくても周りが大変なことになりそうだ。このまま、空中にいるしかない。
 しかし、神のいう「かような所行」って何なんだ? 心当たりは別にないぞ。
 ん、待てよ? 風……? もしかしてこの風神がいっている「神の子」って、この風の精霊のことか? こいつを俺が使っているから、怒っているのか?
 俺の疑問に対して、風の精霊から肯定の意思が伝わってくる。
 マジかよ。もともと俺が家をなくしたのもこいつの不注意が原因だったし、そのお詫びとして俺に付いてきていたのだが、まさか神の子だったとは……。
 しかし風神を目の前にして、どうやらこいつも動転しているようだ。怖い父親なのかもしれない。なんとなく、普段より俺に近づいているような雰囲気が感じられる。というか、俺の後ろに隠れてないか、こいつは。
――何をしている! そいつから離れろ!!
 そんな俺たちの様子に憤慨したのか、風神は風をこちらに向けて放ってきた。
 その風圧は「風」というより「空気」という塊を叩きつけられてくるかのようだ。とてつもない密度を誇っている。俺が風の精霊、いや風神の子供の力を借りて起こす風とは段違いだ。
 そんな風を、俺は大きく右に動きつつ上に移動してかわす。と同時に、問題の神の子も俺たちから離れた場所に移動させる。
 直後、俺の左下を濃密な空気の塊が駆け抜けていく。あんなの食らったら、人間なんか潰されるかもしれない。そう思わせるだけの威力がこめられた風だ。
――ほう。我らが力である風も使わず、なかなかの速さだ。だが、細かい制御ができていないようだな。
「どうして、私にこんなことをするのですか!?」
 そう叫んだ俺の言葉を無視して、さらに風を俺に向けてくる。
 くっ! こちらの話を全く聞かないつもりだ。
 それに、今の一瞬だけでそこまで分かってしまったのか。確かに、今の俺本来の能力ではスピードは出せるがその分制御が難しい。
 が、泣き言はいってられない。俺は制御が難しいことを逆手に取り、ランダムに軌道を変化させつつ陣を整えることにする。風を使って飛ぶのではないからこそ、こういう無茶な軌道も描けるのだ。
 なお、この陣とは俺に憑いている狐たちの陣のことである。神と対峙するのに耐えられそうにない狐は外に出しつつ、残った狐で陣を再構築する。もちろん、この作業は俺がするのではなく、メインとなる狐に伝えた上でその狐の指示によって行われている。
 その間も、風神による攻撃は続いている。そして俺も目まぐるしくその位置を変えている。しかしこの狐たち、この状態でよく統率が執れるよな。こんなときではあるが、感心してしまう。
 そうしているうちに、陣の再構築が完了したとの意思が伝わってきた。残った狐は……、8匹か。かなり少ないが、神が相手だ。仕方がないだろう。とはいえ、全員九尾クラス以上だ。何とかなるだろう。いや、何とかしなければいけない。
 陣が完成したので俺は、その狐たちの力を使って幻術を繰り出した。神相手にどこまで通じるかは分からないが、少しでも相手の目を眩ませておきたい。何度もいうが、相手は神なのだ。その力をまともに受ければ人間などひとたまりもない。いくら対処してもしすぎることはないだろう。
 ついでに「ひとがた」も出そうかとも思ったが、それは止めておいた。というのも「ひとがた」の使い方は、本来こういう事に向いていないからだ。ほとんど無駄に力を浪費するだけになってしまう。あれはもっと特殊な使い方がメインなのだ。
 しかし、陣が完成したからといって、これからどうすればいいのだろうか? 神相手に生半可な攻撃をしたところで意味はない。それにそもそも、神の子供が俺と一緒にいるのは理由があるのだ。まずは話を聞いて貰わないと……。
 そのためには、こちらから攻撃を仕掛けるのは得策ではない。攻撃をしかけても、こちらの印象を悪くするだけだ。
 とはいえ、このまま避け続けていても事態が好転するわけでもない。神が力を使い果たす状態になるとは思えないし、避け続けるのも限界があるだろう。
「落ち着いて下さい! こちらの話を聞いてくれませんか!?」
――聞く耳など持たん。
 先ほどから、こちらの話を聞くように訴えかけてはいるが、全く聞いてくれない。このままだと、埒が明かない。どうしたものだろうか……。
 ……! 警戒!! 左後方下から高エネルギー反応!?
 瞬間、目の前がスパークしたと同時に轟音が響きわたる。
 雷による攻撃か……!?
 もっとも、その雷は直撃しなかった。これまでのランダム軌道と幻術が効果を発揮したのだろう。
 とはいえ、その高圧の電気を近くに受けて無事にすむわけがない。俺自身はまだ大丈夫だが、俺の周囲で陣を構築している狐たちはどうなっている?
 俺の問いかけに、弱々しくも返事が返ってくる。よかった。どうやら無事なようだ。しかしこれ以上は無理だ。俺の変わりに雷を受けたようなものだからだ。
 風神が出た時点で雷神も考慮すべきだったか……。
 しかし、今の一撃はよくない。まだ風なら最大出力で防御すれば防ぎきれるかもしれませんが、あの雷はいくら何でも無理だ。あんなのを食らえば、人間など消し炭同然だろう。そんな攻撃をしてくるとは……。
 その攻撃をしてきた雷神は、奇襲が終わって隠れている意味がなくなったからか、そのまま姿を現すと風神の横に並んだ。
――はっはっはっ! 我が攻撃を受けてまだ平気とは、なかなかやりおるわ!!
 風神と雷神が並んだその姿は、自分がその相手になっているという状況でなければ、絵になるとかいう感想が浮かんだかもしれない。
 しかし当然、そういう状態ではない。先ほどもいったが、俺自身はまだ大丈夫だが、一緒にいる狐たちがすでに限界なのだ。これ以上は無理である。
 しかし、俺たちをここまでしておいて、当の二柱の神は涼しい顔だ。俺たちのことを何とも思ってないらしい。先ほどからのこちらの訴えも、無視され続けている。まるで、人間などどうなっても構わないかのようだ。
 だからこそ俺は、このような行動に出たのかもしれない。後から思い返してみても、そうとしかいえない。あるいは、もしこれが試練だというのなら、俺はあえてそれに逆らおうとしたのかもしれない。もっとも試練だというわけではなかったのだが。
「ポチ、来なさい……!」
――今更、ポチなどという犬のような存在を呼んだところで、我らに太刀打ちできると思っているのか。
 そういう意志が伝わってくる。しかし、ポチはゆっくりとその姿を現した。否、あまりに巨大なため、ゆっくりに感じるだけである。圧倒的な存在感を持ってこちらに向かってきている。
 その存在に気が付いたのか、二柱の神に驚愕の色が拡がっていく。さっきまでの冷静な状況と異なり、慌てているのが分かる。
――待て! 待たんか!! 貴様何という存在を呼び寄せるのだ!? お主、龍などという存在をなぜ呼べるのだ!?
 そう。俺が「ポチ」と呼んだその存在は龍である。このポチが、俺自身の力の大元であり、ある意味俺の本性そのものである。
 なお仕草が犬っぽいから「ポチ」などと呼んでいるが、その体躯は非常に大きく、空全体を包み込んでしまうかのような印象を与えている。さすがの神もこの存在には驚きを隠せないようだ。
「ポチ。行きなさい」
 俺の言葉を受けて、ポチは二柱の風神・雷神に向かっていく。もちろん、ただ「行くだけ」などということはなく、明確な攻撃意志を持って、である。
「安心して下さい。ポチは戦闘向きではありませんから。ただ、その分手加減などもできないかもしれませんが」
 戦闘向きではないとの言葉通り、ポチのその攻撃は技も何もあったものではない。ただその存在をもって、相手にぶつかるだけである。
――そんな無体な……。
 雷神が何か言い掛けたようだが、その言葉はポチの一撃によってかき消される結果となった。哀れ、ご愁傷様である。風神も硬直したまま、その一撃の下、撃沈したのである。
 それにしても、自分でやっておいて何だが、死んでないよな? いくら何でも「神殺し」の称号なんていらないからな。
 まぁ、ポチに尋ねたら分かるだろう。
 そう思いポチに意識を向けると、しっぽを振らんばかり様子でこちらを見ている。その様子は、「褒めて」といわんばかりだ。
 いや、そんなつぶらな瞳で見つめられても困るから。生きてるよな、二柱とも……。
 ポチに聞いても埒が明かないので、しかたなく自分で探るが、相変わらずよく分からない。さっきまではかなりの神気を発していたから分かったが、今はそうではない。我ながら、こういう感度が悪いのは、結構問題があるかもしれない。
 っと、ようやく見つけた。どうやら無事なようだ。二柱とも生きてはいる。しかし、えらい遠くまで飛ばされてるな。ここからだと、10キロ以上離れているぞ?
 とはいえ、あのまま放っておいたらよくないだろうな。相手は神だし、片方は一緒にいた風の精の父親でもあるしな。
 仕方なく、俺はポチが吹き飛ばした神々の様子を見に近付くことにした。
 また、離れさせていた風の精霊、もとい風神の子供と狐たちを呼び戻す。あれだけすれば、もうこちらに攻撃してくることもないだろう。ポチも側にいるし、なによりこの子から説明させないといけないだろうし……。
――この度のことは、申し訳ない。
 ところが俺が近付くと、その間に復活したのか、二柱の神は俺に頭を下げてきた。
 さっきまであんなに攻撃してきていたのに、いきなり何だ、この変わり様は……?
――まさかあの力を継いでおられる方とは露知らず。我が子が力となるのは当然であった。
 そんな風に神に頭を下げられても困る。
 というか冷静に考えるとすごい状況だな。神が人に頭を下げるなんて。
「いえ、それよりどうしてこんなことをしたのですか?」
――うむ。最近我が子が帰ってこなくなり、どうやら人間とともにいると知ってな。悪い人間に捕まったのかと心配しておったのだ。そのとき、その人間が近くに来ると雷神から聞かされてな。いてもたってもいられなくなったのだ。
 ふ~ん。で、その雷神はどうしてそんなことを?
――いやなに。風神を焚きつけたら面白いだろうと。
 お前が原因か。
 っと、違う違う。そもそも風神の子がしっかりと伝えていれば良かったんじゃないか。どうして伝えなかったんだ?
 何、忘れていた? 俺といるのがうれしくて?
 それでこんな騒ぎになったんだぞ。ちゃんと親には報告してくれよ……。
――うむ。我が子も貴方といる方がいいようだ。それに能力を伸ばすことにもなる。こんなことをしておいて恐縮だが、これからも頼む。
 そういって、再度風神は頭を下げる。
――我輩としても、面白がって風神を焚きつけた責任もある。すまなかった。
 それに雷神も続く。
「いえそんな。頭を上げて下さい」
 神にそんなことをされても、困るだけだ。
――そこでといってはなんだが、なにかあった際には我らの力を貸そう。必要があれば、いつでも呼んでくれ。
 そう雷神と風神は約束してくれた。
 とはいえ、こんな神を使わなければいけない状況なんて、そうないだろうな。
 そう思いつつ、俺は二柱の神と契約したのだった。

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