2009年4月5日日曜日

現代小説『春のプール』

 日本の春といえば、何を置いても桜だろう。
 そして俺は、桜といえば小学生の頃を思い出す。俺が通っていた小学校には、校門の前の道が桜並木になっていたからだ。
 しかし桜には、あまりいい思い出はなかったりする。
 確かに、春の桜はキレイだったと思う。
 だがそれより、夏が大変だったのだ。夏の桜の木には大量の毛虫が発生した。毛虫が地面一杯にいるし、上から降って来るしですごく嫌だった記憶がある。
 それに、その桜並木は校門前だったこともあり、どうしても通らざるを得ない。その恐怖ばかりが思い出されて、桜にはあまりいい思い出がない。時期が違うと分かっていても、普通の花見中も毛虫のことが心配になるほど、その恐怖感は植え付けられていると過言ではない。
 などと現実逃避気味なことを考えているが、俺の目の前には「さあ、泳げ」といわんばかりに、水面が広がっている。
 まったく、季節外れも甚だしい。今は春だぞ。どうしてこんなプールに来ないといけないんだ。屋内の温水とはいえ、どうしてプールなんだ。
 いや、別に泳げないというわけではない。問題は今の俺の格好が水着だということだ。もっとも、水着だからこそ「さあ、泳げ」などというたわけた妄想が聞こえてくるのかもしれないが……。
 それにしても、女の状態でこんな水着とかいう格好をしたくなかった。いくら今は女性の身体になっているとはいえ、本来の俺は男である。最近は女でいることが多くなっているが、やはり水着には抵抗感がある。
 まったく……。どうして、こんなにはっきりと身体の形が分かる格好をしなければいけないんだ。普段はあいつに妥協してスカートでいるとはいえ、できるだけプロポーションが出ない格好をしている俺の身にもなってほしい。
 そして当然のように、傍らにはあいつがいる。というより、あいつが言い出したからこそ、ここでこうしているわけだが……。
 ただ、ここには俺とあいつしかいないのが、不幸中の幸いというべきか。あいつは、今日このプールを貸し切りにしやがった。まったく、金の使い方を間違えてる。
 しかし、冷静になって思い返してみると、ここでこうしているのもあいつの口車に乗せられただけのような気がする。どう考えてもあいつにだまされただけじゃないだろうか。とはいえ、ここまで来てしまった以上、もはやどうすることもできない。どうすることもできないわけだが……。
「それで、そろそろ今日こうして泳ぐことになった本当の理由を話してくれませんか」
 俺としては、そう尋ねずにはいられない。
「それはさっきも話しただろう」
 しかしあいつは、何を今更聞くのか、という体で俺に返事する。
「そうじゃないでしょう。別に怒りませんから、本当のことを話して下さい」
 さっきはつい熱くなってしまい、ここまで来てしまったが、全うに考えればさっきの話が理由だとは思えない。
 俺のそうした思いを察したのか、あいつは渋々という感じでため息を付く。
「ふぅ……、仕方がないな」
 そう。初めから素直にいえばいいんだ。
「お前とこうしてここに来た、本当の理由は……」
 本当の理由は?
「お前の水着姿が見たかったからだ」
 ……おい、待て。
「お前も最近女らしくなってきた。しかし、いつも自分の魅力を隠すような格好ばかりしている。ここらで、こういうイベントも必要だと考えたわけだ」
 ほぅ、そうか……。
 俺の無言で、炎が赤く渦巻いている火球を作り出す。それも半径1メートルはあろうかという巨大な奴だ。
「……お、おい。ちょっと待て! さきほどお前は怒らないといっただろう!!」
 その火球の存在に気が付いたのか、さすがのあいつも慌て出す。
 しかし俺は、黙ったまま一歩前へ足を進める。それと同時に、あいつも一歩下がる。
「いくら何でも、それは洒落にならないぞ!」
 あいつの言葉を無視して、俺は作り出した火球を前に押し出す。火球があいつに向かってゆっくりと進んでいく。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
 さすがにここまでされたら、あいつも悲鳴を上げるようだ。俺も一つ賢くなったな。
 そんな不謹慎なことを考えている間も、火球はあいつに近付いていき、そのすぐ横を通り過ぎる。そしてそのままプールに落ち、大量の蒸気を発生させて消滅していった。
 おお。これはすごい顔になってるな。なかなかクールなあいつのこんな顔は見られるものじゃないぞ。
「ふふ、大丈夫ですよ。実はそんなに熱くなかったですから」
 赤い火の温度はそれほど高くない。例え当たったとしても、大したことにはならないはずだ。それに、最初から当てる気なんてない。
 固まってしまっているあいつの横を通り過ぎると、プールに少しだけ手を入れてみる。
「うん。ちょうどいい湯加減ですね」
 そういって俺は、とりあえず水着のことは考えないようにして、プールではなく大きな風呂のように楽しんだのだった。
 そしてあいつは、しばらくの間、そのまま固まったままだった。

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